チケット転売の経済学的考察~余剰編~

チケット転売の経済学的考察という記事にそれなりに反響があったのですが、少し説明が足りないかもと思うところがあったので補足的に書きたいと思います。

余剰についてです。

この記事の前提知識として、 チケット転売の経済学的考察を読んでいることとします。

消費者余剰(しょうひしゃよじょう)とは、消費者の最大留保価格から取引価格を引いたもので、取引から消費者が得る便益を指す。

消費者余剰 – Wikipedia

生産者余剰(せいさんしゃよじょう,英: producer surplus)とは、取引価格と生産者の限界費用との差額の和で、取引から得られる企業の便益を指す。

生産者余剰 – Wikipedia

各人が合理的に振る舞う自由経済は消費者余剰と生産者余剰が最大化されることがわかっているため、各人が合理的に振る舞うことは正義(=社会厚生を最も高めること)となります。

そこでチケット転売に際する各フェーズに分けて余剰を図にしてみました。

フェーズ1~チケット販売の価格設定~

短期的合理性を追求する場合


図1
ピンク色が消費者余剰、紫色が生産者余剰

こちらの図は、チケット販売者が短期的合理性を追求した場合の余剰です。

生産者余剰は消費者余剰よりも圧倒的に大きくなっています。

しかしながら、前記事で説明したように、チケット販売者は長期的合理性を追求するため、この図は実現しません。

長期的合理性を追求する場合

図2

ファンの裾野を広げるなどの目的で、チケット販売者は青点付近に価格を設定します(なので赤点との差分が転売の利ざやとなっている)。

これが現実に起こっています。

この場合、静学の観点では消費者余剰のほうが生産者余剰よりも大きくなっています。長期的合理性を求め、短期的利益は深追いしていないことが表れています。

フェーズ2~転売屋の参入意思決定~

もし転売屋が転売に参入しない場合、各プレイヤーの便益は直前の図2の通りになります。当然ながら転売屋の便益はゼロです。

図2

しかしながら、転売屋は以下のようにすると便益が発生するため、参入したほうが合理的です。

図3
茶色が転売屋の便益

消費者余剰が削れていますが、消費者余剰が削れるだけなら、ゼロサムゲーム(転売屋も含めた社会全体の便益は変わっていない)です。

しかしながら、価格が赤点まで上がるため、長期的な生産者の便益も削れています。ここでマイナスサムとなってしまっています。

正義(=先程も言いましたが、社会厚生を最も高めること)の対象に、この転売屋の行動は当てはまっていないように考えられます。

転売行動には負の外部性がある、ということですね。

ゲームツリー

ここまで、フェーズに分けてきたのには理由があります。

ゲーム理論のゲームツリーに表すためです。以下がゲームツリーとなります。

フェーズ1フェーズ2便益
価格設定赤点図1
青点付近転売屋の参入意思決定転売しない図2
転売する図3

部分ゲーム完全均衡を求めるには後方帰納法を使います。後ろのフェーズから部分ゲーム均衡を見ていきます。

まずフェーズ2をみます。図2になるか図3になるかを転売屋が選ぶわけですが、転売屋は転売に参入してきます。フェーズ2の部分ゲーム均衡は図2ではなく図3となります。

次にフェーズ1をみます。図1か図3になるかの選択をチケット販売者が選ぶわけですが、ここでは図1のほうが明らかに合理的です。

したがって、部分ゲーム完全均衡は図1となります。

図1

しかしながら、これは図2の状態と比べて、消費者余剰+生産者余剰は同じですが、

  • 静学的な消費者余剰(ピンク色の面積)
  • 動学的な生産者の便益(ファンの裾野が広がらないから)

これらがどちらも少なくなってしまっています。図3がマイナスサムになるのと同じです。

チケット販売者の利益が減るだけなら、この問題に声を上げられても利益誘導するなよとなりますが、消費者余剰も損じているのが重要なポイントだと思います。

図2のほうが経済厚生が高いが、図1が均衡になるという点で、 負の外部性により各人の合理的行動によって経済厚生が最大化されない均衡にハマる市場の失敗の一種でしょう。

また、自分はここ面白いなと思ったのですが(学問的にもきっと面白いはずです)、

チケット販売者に対して、後方帰納的に転売者の存在を予期させるだけで負の外部性を発生させる

という点がとても珍しく、ここが従来の議論ではなぜか決着がつかない元凶なのではないでしょうか。負の外部性と部分ゲーム均衡に詳しい方いたらぜひ教えてください。