政治家のMMT「解釈」が混迷を極めていて、以下のように賛否はともかくとしてMMTをまったく理解していないような意見もチラホラ散見されています(なにがおかしいかは後ほど)。
なのでMMTの解釈を整理する記事を書いておきたいと思います。
予め筆者のスタンスを説明しておくと、
- デフレにおける緊縮財政には否定的
- MMTの事実解明的な主張には否定的でない
- MMTを根拠とする規範的な主張(~すべきだという主張)をするのであれば、数式モデル化するのが科学的方法ではないか
- なのでMMTの数式化を提案している
- FTPLに「租税貨幣論」を組み込んだ感じ。
- 上記を理由に、筆者はMMTerではない
という感じです。
まずMMTを知らない方へ
MMTオリジナルの本の和訳がありますが、重く厚く、すぐに理解したい方にはおすすめできません。
ですので、本の内容への賛否はともかくとして、MMTを簡単に理解したければ以下の本を読むのが良いかと考えられます。
また、貨幣論に慣れ親しんでいない方はこちらで歴史をおさらいすると良いでしょう。
政治家のみなさんもまずこれらを読んでから批評を行えば、中妻議員のような解釈にはならないはずです。
誰かの負債は誰かの資産
まず第一にMMTの事実解明的主張として、誰かの負債は誰かの資産であるという会計的知見が挙げられます。
これは会計的に事実なので、MMTに懐疑的な人でも否定しません。
- この会計的事実
- 日本の政府債務の債権者はほとんどが国内民間
の2つから、「日本の政府債務を削減することは国内民間の資産を減らすことにつながる」ということが演繹されます。
また、「国の借金は国民一人当たり○○万円」のように、政府債務は国民の債務であることを想起させるレトリックも明確な誤りであって、日本の場合、政府債務は国民の債権(資産)となっています。
また、国債(政府債務)だけでなく、 お金(中央銀行券)も負債です(中央銀行の負債)。したがって国内に資産が増えてくると、政府と中央銀行の債務が積み上がってくることは正常なことなのです。
貨幣が流通するのは納税手段として定められているから
第二のMMTの事実解明的主張として、「貨幣(正確に言うと円とかドルみたいな貨幣の単位。貨幣の具現的形態、例えば紙切れや金属や電子データは問わない)が流通するのは納税手段として定められているから」ということが挙げられます。
租税貨幣論と呼ばれます。
貨幣の三機能は
- 価値尺度
- 交換手段
- 価値貯蔵
があり、交換手段の要件は物理的にせよ電子情報的にせよインターフェイスが統一されていれば満たすことが出来ます。
ですが価値尺度になるにはどうしたらいいのか、価値貯蔵機能をもつにはどのようにしたらいいのか。
価値がゼロの貨幣が価値尺度になることはできませんし、価値を貯蔵することもできません。
そして、価値をもつ紙切れや金属やその電子情報データの「単位」が他の紙切れや金属や電子情報データの「単位」を差し置いて、一番広く使用されるようになる理由はなんでしょうか?
その答えは、「納税手段として定められたから」とするのが租税貨幣論です。
納税しなければいけないので、人は期限内に納税に耐えうるようにその「単位」をかき集めることを余儀なくされます。例えば、「円」という単位での納税が義務付けられていれば、「円」の単位を持つ物体を集めることを余儀なくされます。その物体が紙切れであろうが金属クズであろうが関係ありません。「単位」そのものが価値を持ちます(需要が発生します)。
そして必ずその「単位」で納税しなければならないので、日常の決済もその単位で行う(例えば日常決済を円で行う)のは便宜的に理にかなっています。
租税貨幣論は、貨幣が流通する根拠をこのように説明するのです。
貨幣論における「商品貨幣論」では、紙切れでできた紙幣の価値を説明することは難しいですし、租税貨幣論は岩井克人氏の「貨幣の共同幻想論」のような説の「上位互換」となっていますから、論理的には、租税貨幣論を否定できる説は現状、存在しません(あくまで、現状の論理的には)。
ちなみに私のモデルでは、税が貨幣価値の根拠であることから、税収によりデフレ圧力を生むとインフレを抑えられ、ハイパーインフレになる条件は税収がゼロに近づくこととなっています。
内生的貨幣供給
MMTのもう一つの事実解明的主張は、内生的貨幣供給理論です。
内生的貨幣供給理論は沼な部分なので複雑に考えるほどこんがらがって議論が混乱しますが、端的に整理すると、「中央銀行の金融政策単体には貨幣供給を増やす効果はない」というものです。
内生的貨幣供給理論は、マネタリーベースを増やすとマネーサプライが増えるという因果関係を否定します。
内生的貨幣供給理論はMMT独自の目新しいものではなく、日銀理論としても知られています。
日本の経済論争#マネーサプライ論争(岩田-翁論争/翁-岩田論争)
岩田規久男氏(金融緩和により貨幣供給を増やすいわゆるリフレ派)と翁邦雄氏(日銀には貨幣供給を操作することはできないという日銀理論派)の論争があったわけです。
どちらが正しかったかと言うと、アベノミクスで答えが出ています。現実的には、マネタリーベースだけが増えてマネーサプライはほとんど増えないという内生的貨幣供給理論どおりの結果となりました。
政府の債務返済能力
もう一つ事実解明的な主張として、政府の債務返済能力に関するものがあります。それは、税収だけでなく、中央銀行の国債引き取り(直接的に引き受ける財政ファイナンスは日銀法で禁じられているが、市場の国債を買取る買いオペレーションは禁止されておらず、これでも同等の効果が出る)も名目債務返済能力の一つであるというもので、「自国通貨建ての債務で政府が債務不履行に陥ることはない」ということになります。
MMTの規範的主張
MMTの主要な事実解明的主張に関しての解釈を列挙しましたが、MMTの規範的な主張はどのようになっているのでしょうか?
まず、 誰かの負債は誰かの資産であるという命題から、政府債務は「国の借金は国民一人当たり○○万円」 を理由に、歯を食いしばって増税に耐えてまで真っ先に削減すべきものではない、という規範的な主張が導かれます。
また、租税貨幣論、内生的貨幣供給理論と政府の返済能力の観点から、「金融政策ではなく税を景気調整手段として用いるべきである」「税は政府の資金調達手段ではなく、景気調整手段とみなすべきである」という規範的な主張が導かれます。
ほかに規範的な主張はあるでしょうか。さて、ここで問題です。前述した事実解明的主張から、「通貨発行権があるのだからジャンジャン財政出動すべきだ」という規範的な主張は、論理的に導かれるでしょうか?
答えはNOです。
まず、MMTも「財政出動にはインフレの制約がある」という認識は共有していると考えられます。 インフレの制約を考えれば、無条件の通貨発行権を利用した財政出動が規範的な主張にならないことは言うまでもありません。
したがって、音喜多議員の観測範囲内では「MMT信者が通貨発行権を根拠にじゃんじゃん財政出動すべきだと主張している」ように映るのかもしれませんが、これはMMTの規範的な主張ではありません。一部の誤った拡大解釈です。
再度まとめると、MMTの規範的な主張は、
- 誰かの負債は誰かの資産であるという命題から、政府債務は「国の借金は国民一人当たり○○万円」 を理由に、歯を食いしばって増税に耐えてまで真っ先に削減すべきものではない
- 租税貨幣論、内生的貨幣供給理論と政府の返済能力の観点から、
- 金融政策ではなく税を景気調整手段として用いるべきである
- 税は政府の資金調達手段ではなく、景気調整手段とみなすべきである
くらいです(と私は解釈しています)。定性的な議論なので定量的な議論をするためには定式化すべきだと考えていますし、そうしなければ科学的な理論としての普及が難しいとまで考えていますが、MMTの規範的な主張もそこまで過激なものではないのではないでしょうか?
冒頭の中妻議員のどこがおかしいかというと、そもそも全くカスってないズレた議論をしているところだということになります。前述した事実解明的主張、規範的な主張と、低金利は関係ないですからね。
MMTに懐疑的な人はもちろん、MMTerの方からのツッコミもお待ちしております。