今回は、この記事についてです。
Radical Marketsの仕組みというか考え方はこの記事を読んで理解していただく(わかりやすく書かれてるんでそこまで難しくはないと思います)として、このRadical Marketsという発想を経済学的に検証してみたいと思います。
結論から言うと、筋が悪い。
前提
まず、「私有財産の否定=社会主義=悪」という発想を捨てておいてほしい、ということを予め言っておきたいと思います。
あくまで自由主義経済が計画経済より優れていると言えるのは、冷戦で資本主義陣営が社会主義陣営に勝利したからではなく、経済学的に市場経済は多くの場面て厚生を最大化すると証明されているからです。
詳しくは神取ミクロ読んでください(n回目)。
「多くの場面で」といったのは、市場経済は万能でないことを表しています。「市場の失敗」など、なんらかの方法で市場に介入することが必要な場面は多々あります。
語られてきた経済思想をどこで援用すると厚生が高いかというのが経済学という学問の役割の1つであって、19世紀とは違い、経済を思想ありきで語ることにはなんの意味もない時代です。
この前提を共有できる方だけ、読み進めてください。
土地国有化論
自由主義国家においても、土地の所有権を否定したほうが経済厚生が高まるのではという議論は繰り返されてきました。
限界革命(ミクロ経済学で超大事)で有名なワルラスが唱えています。
社会が進歩するにつれて、資本蓄積が進行し、人口は増加していく。しかし、土地の存在量は事実上固定されているので、社会発展と共に地価は常に上昇していく。そして、私有財産制の下では、その収益は土地の所有者である地主に帰する。しかし、それは地主の活動によるものではなく、いわば社会の発展の成果を地主が独占することを意味する。一方、労働の成果は労働をした個人に帰するべきものであるから、賃金・俸給に対する課税は、個人の権利を侵害することになる。それでも、個人を超えた別個の存在としての国家或いは社会は、その活動のための収入を必要とする。ワルラス父子は、土地は自然からすべての人間に与えられたものであるから、社会が必要とする経費は地代収入によって賄うべきであり、それによって国家は個人の権利を侵害する課税の必要がなくなると論じた。もっとも、私有財産である土地を無償で権力的に取り上げることはできないので、ある種の債券を対価として発行することで、土地を国有化することを提案している。
レオン・ワルラス – Wikipedia
読むだけで、
- 機会の平等という自由主義の必要条件を満たすためであるという側面
- 土地代だけで国家財政を賄うことで課税を減らし、より自由主義を実現するためであるという側面
がみてとれると思います。
この主張は、必ずしも突飛なものであるというのは難しいのではないかと思います。
一方で、Radical Marketsの主張はどうかというと、
・その土地をもっと有効活用出来る者が現れたとしても、土地の財産権所有者がその土地を売りたいと思わない限り、他者に財産権が移ることはない(たとえその者がいくら高額でも買い取る者だとしても)
・土地の財産権所有者が必ずしもメンテナンスを行うとは限らず、土地が本来生み出すべき経済活動すら生み出せないかもしれない
というように、「土地をもっと有効活用できる人間がいるはずなので財産権を否定したほうが経済学的に効率的」というロジックになっています。
これは、シンプルに誤りです。
「高い買値を提示されても土地は譲らん」という頑固オヤジがいると仮定して話を進めても、このオヤジは合理的です。
高い買値をもらうことよりも土地を守ることに効用を感じているのですから、オヤジがそのまま土地を持つほうがパレート効率的なのです。
選好からくる効用と合理性の定義からしてそうです。
明石市の場合
時事ネタですが、明石市のように、道が狭くて死亡事故が起きたため、道路拡幅事業をするにあたって土地立ち退きの依頼をするような状況においては土地は公共性を帯びますから、その場合は公権力でなんとかすればよいことになります。
(明石市長が市職員に暴言を吐いた一方で、市民を最優先に考えた正論であるみたいな話もありますがここはスルーで。)
話を戻します。
公共性を念頭においていない議論において、「土地をもっと有効活用できる人間がいるはずなので財産権を否定したほうが経済学的に効率的」というロジックは誤りです。
加えて、土地以外の議論には到底通用しないと思います。
エセ経済学だと思いました(暴言)。
自己申告システム
Radical Marketsでは、土地に税を課し、土地代を過大申告しないようにインセンティブをつけて、オークションさせるというアプローチをとっています。
手っ取り早く結論を言いましょう。
↑このような方針のほうが効率的です。
まず、Radical Marketsのアプローチの場合、「土地への税率」を恣意的に決めなければなりません。
この恣意性により、「土地」と「土地以外の財」への資源配分に歪みが生じます。
例えば土地への税率がやたら高いと土地以外の財への資源配分に偏ってしまいます。
この資源配分の歪みにより経済効率性が損失します。
一方、ワルラスの発想は「課税を減らし、より自由主義を実現する」アプローチであり、課税対象は増えません。
また、国の財源となる土地代もオークション形式で市場原理により決められるため、恣意性は全くありません。
決めなければならないパラメーターは、現実的な運用のために決める「何年以内に立ち退きしないといけないか」の期間くらいですね。
税の恣意性の観点から、Radical Marketsの発想よりもワルラスの発想のほうが優れていると言えると思います。
まとめ
Radical Marketsは、革命的な発想なのか、ワルラス等の議論の歴史を見ずに突発的に言ってみた妄想なのか、あえて二択で言うと後者のほうが近いと言えると思います。
ましてやDLT(ブロックチェーン)でディスラプトできる領域にはとても見えません。
土地以外には筋が悪すぎますし、土地ならワルラスの発想すればいいことになります。
Don’t trust, verify.だと思います。
また、経済学者もバカではないので(テクノロジー音痴が多いため馬鹿に見える気持ちもわからなくはないですが)、過去の経済学の議論の系譜をもっとたどる議論も増えていくといいかなと思いました。
一方で、このような批判的検証記事もウェルカムみたいな業界の風潮は素晴らしいのでありがたいですし、維持したいと思いました。