MMTの国債廃止論の罠

こんにちは。

今日はMMTの主張の中の一つ「国債廃止論」について考察をまとめていき、その途中で主流派経済学との違いを主流派経済学を知っている人にわかりやすい表現で整理していきます。

国債廃止論とは

まず国債廃止論を説明しましょう。

「スペンディングファースト」という見方に立つと、政府支出の流れは以下のようになります。

  • まず実物資源を民間から徴収する(オプショナル。例えば補助金)
  • 対価として、発行した貨幣(会計的に負債)を渡す
  • 事後的に税金としてそのお金を回収する

「実物資源を民間から徴収する」この表現は、実物の資源制約式

[latex]Y_t=C_t+I_t+G_t+{NX}_t[/latex]

を思い浮かべれば、主流派経済学の人にはイメージは湧くと思います。

イメージが湧きづらいというかニュアンスが伝わりにくいのは「事後的に税金としてそのお金を回収する」というところでしょう。

主流派経済学を学んできた人がこれを理解するには、「政府貨幣で政府支出を行う」という状況をイメージすれば非常に簡単です。

  • まず実物資源を民間から徴収する(オプショナル。例えば補助金)
  • 対価として、発行した政府貨幣(会計的に負債)を渡す
  • 事後的に税金としてそのお金を回収する

非常に簡単ですね?正直言ってしまえば、スペンディングファーストの概念は主流派経済学の多くの理論とは一切矛盾なく受け入れられることが可能だと思われます。ほぼ自明と思う人もいるかもしれない。

つまりスペンディングファーストがいわんとするところは、「政府貨幣で政府支出を行う状況をイメージしてみれば、それが政府支出の本来のあり方である」ということなのです。

もう少し詳しく言うと、「政府貨幣でなく国債を用いている現代の政府の財政のやりくりの仕方は、本来の政府支出のあり方ではなくて、着脱可能な添加物付きの、あり方である」ということなのです。

つまり、政府貨幣を発行せず、国債を用いて「お金を借りる」という体裁で政府支出の対価支払いに利用する原資を調達しているのは、ある種の「自己規制」「自粛」のようなものなわけです。違う言い方をすれば、「中央銀行が政府にかけた足枷」のようなものなわけです。

政府は本来、政府貨幣を発行することで、「借りる」という体裁をとらなくても政府支出を行うことができます。でも、国債という「自己規制」「自粛」「中央銀行が政府にかけた足枷」を以て、「借りる」という体裁で政府支出を行っています。

スペンディングファーストはその現状に対して、「政府は本来、政府貨幣を発行することで、「借りる」という体裁をとらなくても政府支出を行うことができる」と主張するものです。

もう一度言いますが、正直言ってしまえば、スペンディングファーストの概念は主流派経済学の多くの理論とは一切矛盾なく受け入れられることが可能だと思われます。ほぼ自明と思う人もいるかもしれない(もちろんそうでない人もいて、筆者が個人的に「ハイパーインフレ教」と呼んでいる考え方とかもあります)。

後は簡単です。「政府は本来、政府貨幣を発行することで、「借りる」という体裁をとらなくても政府支出を行うことができる」のだから、国債を廃止して、その本来のあり方に立ち返ることもできる、と。これが「国債廃止論」です。

となるとどう考えても考察が必要なのは以下の観点です。

なんで政府はいままで「自己規制」「自粛」「中央銀行が政府にかけた足枷」をしてきたのか?

自己規制の理由

現状のMMTな人たちの多くの考え方(後述)では「政府がバカだから」とか言いそうですが、話はそんな単純ではありません。

結論を言いましょう。

民間潜在実物成長率より低い実物投資収益率な政府投資を、民業圧迫をしてまで行うことを防ぐため

と考えられるのです。

詳しく説明します。

まず、総生産を考えましょう。これを、労働や生産設備や公共財を投入することで作られるものと考えます。

[latex]t[/latex]期における総生産を[latex]Y_t[/latex]、労働投入を[latex]L_t[/latex]、生産設備を[latex]K_t[/latex]、公共財を[latex]J_t[/latex]とすると、

[latex]Y_t=f(L_t,K_t,J_t)[/latex]

このように総生産は労働投入、生産設備、公共財の関数だと考えることができます。この[latex]f[/latex]を生産関数と言います。

主流派経済学なら、微分の扱いやすさといった都合によりコブダグラス型生産関数が、ポストケインズ経済学ならレオンチェフ型生産関数がよく用いられます。それらを一般化したCES型生産関数(代替弾力性の設定次第でコブダグラス型にもレオンチェフ型にもなる)もあります。

つまり総生産がこのように労働と生産設備と公共財の投入によって決まります。その生産能力を、何に使うか?と配分することを表現したのが、消費を[latex]C_t[/latex]、投資を[latex]I_t[/latex]、政府投資を[latex]G_t[/latex]、純輸出を[latex]{NX}_t[/latex]とした以下の式です。

[latex]Y_t=C_t+I_t+G_t+{NX}_t[/latex]

生産したものを消費(今の幸せ)に使うのか?生産能力を投資(次期移行の生産能力を高める)に使うのか?生産能力を政府支出に使うのか?輸出に回すのか?その配分は自由ですが、生産能力を超えることはできません。つまりこの式では、生産関数により決まった左辺が定数で、右辺の配分をそれに合わせて決めなければなりません。

民間潜在実物成長率

説明はここまでにして、まずは民間潜在実物成長率をはっきりさせましょう。これはどういうことかというと「民間が、ちょうどいいと思うところまで消費量を決めて、残りの資源を投資することによって実現することができる総生産の成長率」を意味します。

純輸出は海外との状況などいろいろあるので影響を無視するとして、政府支出は「まず実物資源を民間から徴収する」のだから[latex]C_t,I_t[/latex]よりもまず[latex]G_t[/latex]が決まります。[latex]G_t[/latex]が決まった後で、民間は[latex]C_t,I_t[/latex]の配分を決めるのです。

そこで「ちょうどいいと思うところまで消費量を決め」、つまり先に[latex]C_t[/latex]を決め、[latex]Y_t[/latex]から残ったものを[latex]I_t[/latex]とします。

この投資[latex]I_t[/latex]によって、次期の生産設備[latex]K_{t+1}[/latex]が増えますから、次期の総生産[latex]Y_{t+1}[/latex]が増えることになるわけです。

(かなり簡単化した説明ですが、論旨に影響はありません)

ちなみにこれは会計(SNA体系)から言えるだけの会計の式ですし、これくらいの数式に拒絶反応起こしててはポストケインズのストックフロー一貫モデルは多分理解できないんで数学アレルギー持ってるMMTな人も頑張ってください。

政府投資の実物投資収益率

今後は、政府投資の実物投資収益率をはっきりさせましょう。

この政府投資によって公共財[latex]J_t[/latex]が増えるものとします。

本来、政府支出の中には「政府消費」と言えるもの(つまり公共財を増やすわけではないもの)もありすべてが政府投資ではないのですが、MMTな人には数学アレルギーと見受けられる人も多いので、単純化のため、政府支出はすべて政府投資だと超大目に見てあげてみましょう。

この政府投資[latex]G_t[/latex]によって、次期の公共財[latex]J_{t+1}[/latex]が増えますから、次期の総生産[latex]Y_{t+1}[/latex]が増えることになるわけです。

資本減耗

ちなみに、生産設備[latex]K_t[/latex]と公共財[latex]J_t[/latex]には資本減耗があります。ようするに老朽化みたいなもん。なので無限に投資・政府投資すれば無限に生産設備・公共財が増えていくなんてことはありません。

言えること

ここまできたら

民間潜在実物成長率より低い実物投資収益率な政府投資を、民業圧迫をしてまで行うことを防ぐため

の意味が大体イメージ湧く人も出てきたのではないでしょうか。

ようするに、実物資源制約[latex]Y_t=C_t+I_t+G_t+{NX}_t[/latex]がありますから、政府投資[latex]G_t[/latex]を増やせば、民間投資[latex]I_t[/latex]に割り当てることができる生産能力が減ります。

このとき、政府投資には

  • 公共財を増やすことで次期の生産能力を高める効果
  • 民間投資を減らすことで次期の生産能力を高める効果を弱める効果

2つの効果を持つことになるのです。トレードオフですね。トレードオフに直面すれば考えることは単純です。

「公共財を増やすことで次期の生産能力を高める効果」が「民間投資を減らすことで次期の生産能力を高める効果を弱める効果」よりも強いなら政府投資増やせばいい。

「公共財を増やすことで次期の生産能力を高める効果」が「民間投資を減らすことで次期の生産能力を高める効果を弱める効果」よりも弱いなら政府投資増やさなければいい。

単純ですね?めっちゃ当たり前ですね?これを否定する人ほとんどいませんね?

民業圧迫の定義

さて、今度は「民業圧迫をしてまで行うことを防ぐため」をはっきりさせましょう。

“民業圧迫”という単語には「政府系事業者が民間事業者のいる事業に参入し、民間事業者に不利な競争を強いること」という意味もありますが、その意味は考えず、シンプルに「民間に割り当てられたはずの生産能力を政府が取ること」と考えましょう。

さっきから何回も言ってるとおり、生産能力を政府支出に割り当てる分を増やせば、消費や民間投資に割り当てられる生産能力は減ります。

生産能力を政府支出に割り当てる分を増やしても、消費や民間投資に割り当てられる生産能力を減らさない方法はなにかないでしょうか?

一つだけあります。「失業者をなくすこと」です。

生産設備や公共財はすぐには増やせない(次期のを増やすことはできるが今期のは増やせない)ですが、労働投入はすぐに増やすことができる場合があります。それは「失業者を労働投入していない場合」です。

失業者を労働投入すれば、今期の生産能力を高めることができます。したがって、生産能力を政府支出に割り当てる分を増やしつつも、それを失業者を労働投入するために使えば、消費や民間投資に割り当てられる生産能力を減らさないようにすることができるのです。

ようするに「失業者を労働投入する」ような政府支出は、「民業圧迫」にはなりません。

逆に言えば「失業者がいないとき、つまり完全雇用のとき」には、「民業圧迫」になります。

完全雇用の定義

ここでMMTと主流派経済学で違いがある重要ポイントなのですが、MMTにおける「完全雇用」の定義は主流派経済学における多くの「完全雇用」の定義と異なります

後者では一般的に「失業率が自然失業率と一致する状態」を完全雇用と定義しますが、前者は「自然失業すらない状態、つまり失業率ゼロ」を完全雇用と定義し、それを目指すべき対象とするのです。

(自然失業率の意味はググっていただいたほうが早いと思います)

ここはMMTに大目に見てあげて、ここから先はMMTのほうの完全雇用の定義で考えていきましょう。したがって民業圧迫の基準もMMTの完全雇用の定義で考えます。

したがって自然失業率をなくすための政策”Job Guarantee Program”は「民業圧迫」に該当しなくなります。

ここまでのまとめ

ここまでで、

民間潜在実物成長率より低い実物投資収益率な政府投資を、民業圧迫をしてまで行うことを防ぐため

の意味ははっきりできたと思います。

先に述べた通り、

「公共財を増やすことで次期の生産能力を高める効果」が「民間投資を減らすことで次期の生産能力を高める効果を弱める効果」よりも強いなら政府投資増やせばいい。

「公共財を増やすことで次期の生産能力を高める効果」が「民間投資を減らすことで次期の生産能力を高める効果を弱める効果」よりも弱いなら政府投資増やさなければいい。

という非常に単純な話です。これを否定するのは多分無理でしょう。

そこでありうる反論があるとすれば。

実物生産能力を高めることを目標とする必要があるのか?

でしょう。このような「脱成長(経済成長と格差是正を同時並行でやるのではなく、経済成長以外を優先して考えること、とします)」をイデオロギーに入れれば、たしかに「実物生産能力を高めること」を目標にする必要がないので、生産能力を高める効果によって政府投資の割り当てを調整するような考え方は無意味になります。

逆に言えば、「脱成長ではないMMT」を(MMTは本来、脱成長だ!というのはなしにして)を考えるのなら、「実物生産能力を高めること」を目標の一つ(目標のすべてとは言ってない)にすることになりますから、格差是正みたいなそういうのも目標にしながら、「実物生産能力を高めること」目指すことになるわけです。

「実物生産能力を高める」には「民間潜在実物成長率より低い実物投資収益率な政府投資を、民業圧迫をしてまで行うことを防ぐ」必要があるので、それを達成するための自主規制・自粛・足枷として、国債の存在を一定程度正当化することができるわけなのです。

したがってありうる考え方は以下の二つになります。

  • 国債廃止、脱成長(実物生産成長より格差是正とかを優先して目指す)MMT
  • 国債廃止しない成長込み(実物生産成長目指しながら格差是正とかも同時並行で目指す)MMT

ここまで整理すれば突飛な主張どころか自明レベルで当たり前な主張だということがわかるのではないでしょうか。

ここで「MMTは本来、脱成長だ!」とか言うのはそれは自由です。

追記1

多分「脱成長」という名前は風評被害があるので、「脱実物生産成長」っていう名前がいいと思います。「実物生産成長よりも人間らしい成長を」という人が多いので。

追記2

「実物生産成長よりも大事なことがある」という問題提起は、主流派経済学からやMMT以外の非主流派経済学からも腐るほどあるので、そういう議論の歴史的な経緯を、知らない人は追ってみてはいかがでしょうか。

そういう議論を何度繰り返してもなお「実物生産成長を見るのはよくはないが他の基準が(客観性とか、個々人の選好把握が本人以外には不可能なことにより)ダメすぎてマシという結論になる」というのが繰り返されている、というのは踏まえたうえで、車輪の再発明にならない議論を心掛けたいですね。

MMTの言論の問題点

民間潜在実物成長率というのは、「自然利子率」として観測することができます(厳密にとは言ってない)。

また、政府は、「実質国債利子率」よりも低い実質投資収益率な政府投資を、控えるようになります(だって政府債務が積みあがって債務返済という無駄仕事に追われる必要が出てきてしまうから。利払いのための作業、利払い費増加を抑える施策を考える作業みたいな、本当に必要な政府支出と関係のない仕事に追われますね)。

なので、民間潜在実物成長率より低い実物投資収益率な政府投資を、民業圧迫をしてまで行うことを防ぐの方法として、

自然利子率と実質国債利子率が一致することを目指して実質国債利子率を調整する

が導かれるわけです。

もはや自明ですね?

しかしながらこんな自明な主張に対して、

「MMTは自然利子率をターゲットとして金融政策をすることをかねがね批判してきた、それを勉強しろ」みたいなマウンティングが、モブツイッタラーだけではなくMMTな人たちの中ではアルファなツイッタラーからも来るのですよ。

いや、私は「民間潜在実物成長率より低い実物投資収益率な政府投資を、民業圧迫をしてまで行うことを防ぐ」の方法として「自然利子率と実質国債利子率が一致することを目指して実質国債利子率を調整する」を言っているだけであり、「自然利子率をターゲットとして金融政策をし、それで(自然失業率を許容する定義での)完全雇用として満足する」というMMTが批判してきた政策を言っているのではありません。

そういう説明をしたら、皮肉(皮肉になってない)という議論放棄の対人攻撃に走る始末。アルファツイッタラーがこんな感じの言論界隈って、お先真っ暗だと思いますけどね。

「反証可能な形になってない(だから誤解もされまくって挙句のはてに池戸万作氏のような人物を登場させてしまう)」みたいなMMT批判は腐るほどあるのですが、それよりももっと基礎的な「理解してないものを自分の知ってるものとして解釈して藁人形批判する、みたいなことをしない」「対人攻撃に走らない」みたいなところが、MMTな人たちの言論界隈に求められると思います。表現を借りれば「MMTを理解してないのに批判する主流派経済学者」とやってること同じで、人のこと言えない。

まあ主流派経済学としては、「完全雇用の定義において自然失業を許容していいのか(金融政策だけで失業の調整に満足していいのか)」といった議論に発展させて、MMTの言わんとするところを吸収していくのがいいかなと思います。こうやってきちんと整理すればこの議論にやぶさかでない経済学者はいっぱいいると思うので。