ネットにいるMMT関係者は4類型できます。
- 財政リフレ、結論ありきの積極財政のためにMMTを都合よく解釈して利用する自称和製MMT
- マルクスとMMTを結びつけるマルクスMMT
- オールドケインジアンMMT
- 主流派経済学を把握したうえでのMMT
自称和製MMTに関しては本ブログでも何回も紹介してきましたのでよく知られていると思います。MMTをよく知らない方が”MMTには反対だ”と思っている場合、多くの場合はこのような財政リフレを指していることが多いです。
残り3つ紹介しておきます。
マルクスMMT
昨日から絡まれてます。ヘッドホン氏やにゅん氏という方はマルクスMMT派です。
反証可能性基準がどうしても気に入らないらしい。
まあ反証可能性基準を提唱したポパーがマルクスを批判したので、マルクス原典原理主義者が反発するのは無理もないですが。
そもそも”論理”という、根本的な大前提が共有できていないので、話にならないことが多いです。
マルクス経済学には、数理モデルによって反証可能性を取り入れた数理マルクスという分野もあります。ちゃんとした研究者の方もいます。
ですがマルクス原典原理主義者からしたら数理マルクスはマルクスじゃないらしい。原典原理主義ですね。
文学研究科経済哲学専攻で勝手にやっといてくださいという気持ちになります。生産的なことは一つもない。
論理飛躍なので根拠が必要だと指摘されると、”それでは、私に教えを乞うことになります。それでもよろしいのでしょうか?”なる迷言が誕生する始末。面白すぎますね。
※本人いわくマルクスMMTではないそうです
そもそも”論理”という大前提が共有できていないので話にならないのが確認できます。
はぁ…
基本的に価値観は中世で止まったままで、ゲバ棒と火炎瓶の時代からあまり進歩は見られないと思います。新規性なく、繰り返される歴史の一ページの肥やしになっているだけ。
オールドケインジアンMMT
これは有名なブロガーがいたりするので日本のネットでは結構多いですね。
テンプレワードはJ.ロビンソンにかぶれた”バスタード・ケインジアン”という罵倒語です。主流派経済学の中の一派であるニューケインジアン経済学を、この語で罵倒することが多いです。
経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るためではなく、そのようなものを受け売りして経済を語る者にだまされないようにするためである
もよくありますね。
オールドケインジアンMMTは今のところマルクスMMTのように”論理”という大前提が共有できてない、みたいな重症な人は見受けられませんが、主流派経済学に対して無知な人が多く、”主流派経済学のどこを改善すべきで、MMTのどこを改善すべきなのか”という生産的な問いには行き届きません。
主流派経済学に対する食わず嫌いの方が多いです。(オールドケインジアンは、学術的にはルーカス批判により敗れ、ポストケインジアンかニューケインジアンのどちらかに分かれていきました。)
主流派経済学を把握したうえでのMMT
望月さんという方がいて、正直、MMTの情報を知るならこの人からとるか一次情報に頼るかのどっちかだと思います。ほかの多くの人は反主流派経済学をこじらせていて、偏っていると思います。
まあ、あまり多くの人を見ないですね。。。
まあ、この動画でお話しました通り、数理モデルに詳しいが哲学系アプローチ制度分析アプローチにも詳しいというスーパーな研究者はなかなかいないわけで、難しいですね。
主流派経済学って結局なんだ
反主流派経済学を自称する方は主流派主流派と言いますけど、その主流派の方々の多くは主流派である自己意識は持ってないと思います。
主流派経済学のアプローチも、
- 自然言語より数式のほうが情報伝達の耐劣化性が高い
という事実の下、仮定が現実とは一致しないこともあることは自明の前提の上で、仮定からモデルをつくり、その仮定が現実に適合するようにゆっくりモデルを改良するアプローチです。それが時間がかかったとしても着実に進めるアプローチ。
マルクス原典とかのように、”いきなり真理に近づいた”と錯覚させてくれるようなバイブルは出てきません。着実な分遅いのは確かですが。
ということで、やるべきは”MMTの理論体系に新発見があるというなら、それを主流な着実なアプローチに取り入れることなんじゃないの?”と思うわけで、当たり前のことだと思うわけですが、みなさんどう思いますか?(新発見がないと思うならなにもしなくてよい)