私はMMTの一部(モズラー経済学)に理解を示しながらもいわゆる”主流派経済学”と呼ばれる手法使うのが王道と思っている身です(MMT全体は不完全雇用ゼロ金利時は理解だがそれ以外はFTPLノンリカーディアンゼロ金利と同じ)。最近
- 国債発行が”必ず”将来からの前借りになる
- “主流派”の手法は間違っているMMTが完全に正しい
という二つの対極的な意見と論争が起きたわけですが、まとめておきましょう。
必ず前借り?
国債の発行が”将来世代”から”現在世代”への前借りか、という話です。
まとめはこうです。
- 国債というのは発行した時点では前借りにはならない。国債は名目であって、発行するだけでは実物の前借りはありえない。
- 国債を”税金で”返したときに、”将来世代の国債保有者と将来世代の国債非保有者”の間で所得移転が生じる。
- “将来世代の国債非保有者”が現在世代の政治に参加できないことでおこる不平等は当然問題になる
- 国債を中央銀行が購入した場合、国債の発行から所得移転は生じない。
- 国債を発行したことによる政府支出の内容が、投資を阻害するもの(資源を消耗する政府消費など)であった場合は、将来の資本蓄積を阻害し、将来からの実物の前借りとなることはありうる。
以下の記事のとおり、”国債は必ずしも前借りとは限らない(すべてそうでもないというわけでもない)”と整合的ですね。
主流派は間違ってる?
よくネットMMTerの言っているのが”主流派経済学は危機への処方箋を何度も出せていないからあてにならない、退場すべき”という論です。
処方箋が出せていないのはたしかに問題かもしれませんが、退場すべきとはならないでしょう。
主流派経済学には計量経済学という”自らを検証するツール”があります。たしかに検証するツールがあるのに自己反省ができていないというのは問題にはなりますがツールの問題とは別の話であって、反主流派経済学では計量経済学のような”自らを検証するツール”を主流派経済学並にそろえているんですか?という話になると思います。
あまりに主流派経済学が嫌いな人には、社会学や政治学の領域から論文書いて批判する(なぜなら反主流派だと経済学では間違いなくアクセプトされない)ことをおすすめしたのですが、このような人がでてくる始末。
“ミクロ的基礎づけ”をすべき、という根拠が”ルーカス批判”なわけですが、反主流派は”ミクロ的基礎づけ”を嫌っているわけですね。非現実的なモデリングであると。
ミクロ的基礎づけってのが”計量経済学と密接に関わる問題”であるということを認識できない(ネットの評論家から経済の知識を得るだけでは計量経済学は学べない)という点が、食い違いを生んでるんだろうなと思います。
モデリングを一歩一歩改善するツールを備えている土台をベースとしてその上を改善していこうという話にならないんですかね。もちろん”ミクロ的基礎づけ”の理解を共通にした上で”反DSGE”のために”統計物理学”の手法とか”エージェントベースモデル”の手法を持ち出すというのは”提案”としては全然ありなんですけど。
また、ネットMMTerにはFTPLをいう経済モデルを”全否定”する人がたまにいますが、間違いなく自滅です。
まとめ
私の意見をまとめておきましょう。