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アナと雪の女王2は1よりも「発達障害」という概念のメタファーが色濃い件

アナ雪2見てきました。

いきなりですが「1よりも「発達障害」という概念のメタファーが色濃い件」、書いていきたいと思います。デリケートなタイトルですが、石を投げるなら最後まで読んで文脈を読み取った上でお願いします。

アナと雪の女王の詳細については公式サイトをご覧ください。

https://www.disney.co.jp/fc/anayuki.html

終わりにも書いてますが、 映画は友達やパートナーと見に行くときは考えすぎずに楽しみましょう

軽くおさらい

かなり軽く本記事に必要なところだけおさらいします。ストーリーに関しては映画をみてください。

主要人物としてエルサ(姉)とアナ(妹)がいます。アナには特殊能力はありませんが、エルサは凍らせたり氷をつくりだしたりする魔法を使う特殊能力があります。

アナ雪(1だがバージョン印字なし)では、エルサは自身の特殊能力がアナを傷つけてしまった過去から、自己の能力を抑圧し、引きこもっていました。

途中で自身のありのままを肯定し、自己を抑圧から開放します。かの有名な「Let It Go」のシーンですね。

アナ雪2では、エルサが特殊能力を持つに至った原因が明らかになるストーリーとなっています。

2ではメインテーマ曲として「Into the Unknown」が使われていますが、曲調やストーリー的には「Show Yourself(日本語名:みせて、あなたを)」が「Let It Go」に相当する、エルサの自己認識に関する歌といえるでしょう。「みんなと違うこと 悩んできたわ」という歌詞からもそれがわかるとおもいます。

エルサの能力のメタファー

このエルサの特殊能力が、いわゆる発達障害のメタファーであるという指摘は、すでに1の時代から数多くなされています

発達障害は例えばいわゆる高機能自閉症スペクトラム障害(アスペルガーが含まれる)やいわゆる注意欠陥多動性障害などがあります。

これら発達障害の当人は「自分がみんなと違う」「自分が熱中すると人より極めて高い能力を発揮する」との感情を抱くことが多く、特に2での挿入歌「Show Yourself」におけるエルサと一致している、というのが本件指摘の根拠となっています。それほど突飛な指摘ではないということは多くの人が考えるのではないでしょうか。

加えて2のエンディングではオラフ(雪だるま)が「生きているだけで儲けもん」みたいな趣旨の発言をしており、生きづらさに悩む現代人へのメッセージの色彩を色濃くしています。

しかしこう考えるとすれば、一つ懸念点が出てきます。

スペクトラムとスレッショルド

根本的に人間活動や性格形成には神経発達が大きく影響していると考えられます(つまり性格も能力も複雑な因子が絡み合っているが、ある程度遺伝の要素がある)。

神経発達は人間に個体差があります。神経発達の形態はスペクトラム(連続体)であると言えます。どんくさい人、常にテンションが高い人、大人びている人、怒りっぽい人、心配性な人…。

その個体差のうち、社会的に定められたスレッショルド(閾値)を超えた神経発達形態が、「発達障害」と分類されると考えることができます。

参考:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55879

いわば、「発達障害」という概念は神経発達形態というスペクトラムに対して人為的(もちろん歴史的社会的に積み重なった人為的、という意味)に設定されたスレッショルドによって生まれる概念であると考えられます。

以前付き合っていた女性は、会うたびに膝に新たなアザ(打撲痕)をつくっていたり、外を眩しいと感じる視覚過敏があったり、ものをよく紛失したり、そして小学校の先生に多動を指摘されたこともあるようでした。注意欠陥多動性障害の基準は間違いなく満たしているでしょうが、スペクトラム内の点の一つ。

私自身も発達障害でないかと言われることが数回ありました。ASDもADHDも当てはまる症状がなく、たまたま会話のコンテクストが噛み合わなかっただけだと今は結論づけていますが、早熟すぎた論理的思考力はおそらく一般的な神経発達とは少し違うのでしょうね。これもスペクトラム内の点の一つです。

問題なのは、この「神経発達形態はスペクトラムであり、発達障害は人為的スレッショルドによる概念」であるという考えと、エルサの境遇とが、相性が悪いという点です

そのような指摘をそのまま受け取ると、「エルサはエルサの母の善行(内容は映画をみてください)により発生した突然変異のギフテッドである」と考えることが自然になるからです。

本指摘のProsとCons

「みんなと違う魔法が使えるエルサ」というメタファー表現や、「自身の異質性を抑圧するのではなく、肯定し、良い方向に使えるようにコントロールしていこう」という、1で描写されたメッセージは、生きづらさに悩む現代人へのメッセージとして「心強い」ものがあります(自身の異質性を、良い方向へのコントロールすら捨てて開放させること (つまり例えば悪い方向に開放すること) を肯定するメッセージではないことには注意が必要)。

一方で、エルサが2のストーリーで明らかになったように突然変異のギフテッドであり、それが発達障害のメタファーであると捉えるなら、発達障害という「人為的スレッショルドによる概念」を「神経発達は連続的でなく離散的なもの」と誤解し、「非発達障害と発達障害には分断された壁がある」とする考えを促進することになるのではないか、というのが筆者の懸念です。

  • 神経発達形態が連続的ならば、発達障害という人為的スレッショルドにより発生した概念を捨ててしまって良いのではないか
  • 例えば、いわゆる発達障害でないが怒りっぽい人は、「すぐに怒らないように気をつける」といった自己コントロールが必要である
    • そこで神経発達形態が連続的あるならば、発達障害という概念が差別だけでなく逆差別的な免罪符の概念になるのも避けるべきであって、全員が自己を抑圧することなく良い方向へのコントロールしていけば良い

というのが筆者のスタンスですので、エルサの能力を発達障害のメタファーであると捉えるのであれば、アナやオラフ(雪だるま)、そして森の中に出てきた火のトカゲや風の妖精など含めた「スペクトラム」として考察すべきであると考えられます。

幸い、2の映画中ではアナはクリストフ(トナカイに乗ってる男)と全くコンテクストが噛み合わない会話をしていたり、オラフは真夜中もハイテンションで一方的に会話を続けるといった「みんなそれぞれ個性的」という描写があったので、 おそらく映画描写的には問題ありません。本記事は、発達障害のメタファーであると指摘する映画評論に対する懸念、であると言うと正確だと思います。

珍しく家族と映画を見に行ったので小難しいことを考えていました。ま、映画は友達やパートナーと見に行くときは考えすぎずに楽しみましょう